【2024年03月22日】
結局、昨日はこの日行こうと思っていた場所に行ってしまったので、旅程を丸ごとひっくり返して。昨日行くはずだった場所にこの日は行こうと思っていたが、予想以上の出会いがあったりなんかして...?
という事で、金沢で迎えた朝。でも今回は初めてカプセルホテルに宿泊したので"窓の外の景色"などという概念が存在しない。
ロッカーに預けた荷物を引きずり出し、出発の準備をしてからホテルをチェックアウト。最寄りの武蔵ヶ辻・近江町市場バス停から、ちょうどやってきた北鉄金沢バス 51系統 安原線 金沢駅行きに乗車。
5分ほど乗って終点の金沢駅バスターミナルで下車。
コインロッカーに宿泊用の荷物をぶち.com(まさかの昨日と全く同じロッカー番号)して、金沢百番街"Rinto"にある「加賀白山そば 金沢百番街店」へ。やっぱこの時間からやってる飲食店ってここしかないんだよね。
選ばれたのは能登牛コロッケそば。食べて能登を応援!です。とても美味しかったです。
朝食をしばいた後は、この日も金沢駅兼六園口にある鼓門を見て金沢観光への気持ちを高めて...
再び金沢駅バスターミナルから、今度は北鉄金沢バス 90系統 卯辰山線 卯辰山行きに乗車。え?系統だけで目的地バレてる?
市街地から山道へいつもの道を30分ほど乗って卯辰山公園口バス停で下車。
毎月の定点ポイント...という訳じゃないけど、先月に比べて雪が減ったなぁ...って。
さて、今月もまたやってきました卯辰山公園見晴らし台。ここは金沢のリスポーン地点なので絶対に外せないの。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ始まりの地。ちょうど1年前に本格的に始動した物語、「気が付けばもう1年経ったのか...」と同時に「まだ1年しか経っていないのか...」とも感じる。もうすぐ3年生の大賀美沙知が卒業する。"同じ時を過ごす"事は、それだけ彼女たちの事を身近に感じられる一方、時に受け入れ難い現実を突きつけてくる...というのも忘れてはいけない。
蓮ノ空の雰囲気を吸ってきたところで、卯辰山公園バス停から北鉄金沢バス 90系統 卯辰山線 金沢駅行きに乗車。
山道を下りながら5分ちょい乗って天神橋バス停で下車。
そこから住宅街を歩いて、やってきたのはひがし茶屋街。来てみたはいいものの、特に行きたい場所が決まっておらず...雰囲気だけ味わう一般観光客みたいな事をしていた。
そんな時に"ある事"を思い出した私はメインストリートに面する懐華楼へ。読み方は"かいかろう"。昼間は一般公開されているが、夜は一見さんお断りの茶屋として営業されている。
このカット...Link!Like!ラブライブ!の藤島慈のカード「蓮ノ空歌留多」の特訓前のイラストの場所である。
でも、ただ聖地巡礼するだけじゃ勿体無いので併設する「懐華楼カフェ」で野田屋茶店の厳選抹茶と、お土産でもお世話になった諸江屋の生落雁でちょっとひと息。
さらに、折角"一般公開"もされているので、ついでに建物内の見学もしていく事に。まずは綺麗な朱色の階段がお出迎え。
その階段を上がればそこには朱の間。夜になるとここで芸妓さんがお遊戯をするらしい...?
これがお囃子というやつか!
ここは市松の間。何も無いが、"何も無い"のが正解。隣の部屋の話し声とかが聞こえないように設けられた、ただの空間である。
その隣部屋が群青の間。先程までの朱とは対を成すような雰囲気である。
芸妓さんが描かれた、彩りのある襖。
渡り廊下?の途中から真っ直ぐ見える路地裏みたいなのが...好き。
その先にあるのが離れ控室。客間へ向かう芸妓さん達が準備を整える部屋。
うさぎさん...アッ...日野下花帆...
観光客が足を踏み入れられないエリア。そこには様々な道具が置いてあった。ここいらは現役で使われているものばかりだと思うので、ぶち壊されでもしたらたまったもんじゃないよね。
裏階段を降りて1階へ。ずいぶん勾配が大きいのだけれど...そもそも浴衣じゃそこまで急げないし、すっ転ぶ心配は無いか(そこかよ)。
黄金畳の茶室。いや...マジで金ピカやん?流石は金箔生産ぶっちぎり首位の金沢。金沢以外の産地ある?シェア99%だから一応...あるか。
黄金の畳なんてそんなぁ...まさkガチで黄金やんけ。こんなん鹿苑寺が見たらひっくり返るで。
まあこんなに金ピカなので、当然1歩たりとも踏み入れる事は出来ない訳だが...それには理由がある。と女将さん。この黄金の畳を作っていた会社がもう無いらしく、修復が出来ないからなんだって。
日本庭園の中庭。とてもちっちゃいけど、それとなく雰囲気が感じられる。
裏玄関。おそらくここに通っていた芸妓さん達の"通用口"みたいな役割だったんだろうと。客を迎え入れる表玄関とは分けて...みたいな。
そしていきなり現れる白壁。ここは土蔵...なのだけれど、今までの雰囲気と全然違うので「造られた年代ちゃうんか」と思ったらどうやらそうじゃないらしい。
トイレの洗面器、こういう柄物の陶器が本当に使われているんだ!と謎の感動をした。
懐華楼のミニチュア模型が置いてあって、全体としてはこんな感じの構造らしい。
東山ひがし界隈の茶屋街様式の建物では最も大きいらしく、その歴史的価値が高いことが評価されて"金沢市指定保存建造物"になっている。
渡り廊下みたいな場所から見下ろしてた路地裏側から懐華楼を見た図。
その下にあるのが裏玄関で、外から見るとこんな感じ。
当時の茶屋街の雰囲気を感じた後は橋場町・ひがし茶屋街バス停から西日本JRバス 名金線 金沢駅行きに乗車。金沢で初めて西日本JRバスに乗った。金沢市内1日フリー乗車券が使えるエリアだから問題無いんだけど。
10分ほど乗って香林坊バス停(⑧ラモーダ前)で下車。初めての場所に降ろされたんだけど!wと思ったらちょっと北の方らしい。
少し歩いたところにある長町武家屋敷跡へ。本当は今回行く予定じゃなかったんだけど、昨日は休業日で入れなかった某洋食屋で今日こそは昼飯だ!と思ったら行列になっていたので秒で撤収。でも何もしないのは無駄足になってしまうのでこっちに来た...という経緯。
しかし、香林坊という近代的な発展をした繁華街のすぐ近くに、当時の武家屋敷の雰囲気が残る街並みがあるっていうのが不思議な感覚。
振り向けば、歴史的な街並みのすぐ先に香林坊の現代的な建物たちが見えるんだから。
実は蓮ノ空的にはここにも聖地があって、このカットがリンクラの夕霧綴理のカード「蓮ノ空歌留多」のモデルとされてる場所。
金沢市伝統環境保存区域に指定されているが、今でも居住者がいるので非公開の施設がほとんどという珍しさもある。
まさかの観光をした後は、香林坊バス停まで戻って北鉄金沢バス 80系統 柳橋円光寺線 柳橋行きに乗車。
15分弱乗って橋場町バス停(③主計町・ひがし茶屋街)で下車。
...という訳でまたやってきました、ひがし茶屋街。
何すんだよって?昼飯です。香林坊で爆散したからこっちに来たんだよ。
でも行く店は決まっていて、この「茶蕎麦 武右衛門」。
選ばれたのは温かい加賀棒茶そば。これが抹茶ジェラートと並ぶ"初めての金沢の味"。2年前に初めて金沢に来た時にお昼にしたのがこの店。とても美味しかったです。
因みに写真を見返したら、偶然にもその時と同じ座席だった。
昼食をしばいた後は、橋場町バス停から北鉄金沢バス 12系統 湯涌線 金沢駅行きに乗車。
10分ちょい乗って終点の金沢駅バスターミナルで下車。
エスカレーターを下って北鉄金沢駅に移動して、ここからは北鉄浅野川線の普通 内灘行きに乗車。車両は03系のシルバー帯。
遂に...lucky train!に遭遇...!え?北陸鉄道はアイカツ!ではない?そういう事じゃなくて、リンクラの花帆のカード「lucky train!」の車内のモデルとされてる車両である。
有識者曰く、この座席の形とか窓が似ているらしい。
lucky train!でのんびりと15分ちょい揺られて、終点の内灘駅に到着したので下車。
改札を抜けて、そのまま内灘駅バス停から北鉄金沢バス 鶴ヶ丘住宅線 白帆台行きに乗車。
10分ほど乗ってほのぼの湯前バス停で下車。
やってきたのは、バス停の目の前にある内灘町歴史民俗資料館"風と砂の館"。
ここに来た理由、それは粟ヶ崎遊園の事について知りたかったから。ただ、ここも"写真は個人利用に限り撮影OK"という事で𝐈𝐍𝐓𝐄𝐑𝐍𝐄𝐓𝐒の波に放出する予定のここには載せられないの...申し訳ないわ。
まず粟ヶ崎遊園って?小林一三憧れ系材木王の平澤嘉太郎が内灘の地に1925年に開業させた総合レジャー施設。もちろん一三ライクなので、阪急電鉄と宝塚歌劇団になぞらえて浅野川電気鉄道(現在の北鉄浅野川線、以下"浅電"と表記)の付帯事業として計画。そんな感じで開園させたので「北陸の宝塚」なんて呼ばれて、たいそう人気のあるレジャー施設に成長したそうな。
宝塚歌劇団に負けじと少女歌劇団によるレヴューを主な売りにしていて、専用の劇場で公演を沢山していたとか。宝塚歌劇団の劇団員が"タカラジェンヌ"と呼ばれているように、粟ヶ崎遊園の劇団員は"アワジェンヌ"と呼ばれていたらしい。
ただ宝塚に憧れていただけじゃなくて、その実力も高く、益田喜頓などの有名コメディアンを世に輩出したり、当時は外部の公演に参加する事がタブーとされていた宝塚歌劇団を招いて公演をしていたから凄いと思う。というかね、まさか「少女歌劇」だとか「レヴュー」だとかの単語を実在の歴史で見られたところに感動。少女☆歌劇レヴュースタァライトのオタク、ここに行くべき。
粟ヶ崎遊園は当時の北陸の流行発信地でもあり、モダンボーイ・モダンガールと呼ばれる独特のファッションが流行っていたらしい。そんな人達で賑わった浅電、香林坊では目立ちすぎるファッションでも車内ではそれが常識だったというだからとんでもねぇよ。
イメージとしてはまさにこの、花帆のlucky train!のカードイラストのような感じ。この格好で香林坊に行ったらすんごい目立つだろうけど、当時の浅電の車内はこれが当たり前。あれ...もしかしなくても当時が本物の"lucky train"だったのでは?
そんな粟ヶ崎遊園も、第二次世界大戦には勝てず...レヴューも次第に戦争色が強くなって客が離れていき、売り上げも右肩下がりに。1941年に閉園し、16年という短い歴史に幕を閉じてしまった。
もし...今も残っていたら、北鉄浅野川線も賑わっていただろうし、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブとか少女☆歌劇レヴュースタァライトとコラボしていたかもしれない。私は非常にかわいそうな遊園地だと感じた。
※イメージ図ではない
そしてもうひとつの目玉展示、内灘闘争。第二次世界大戦後の1952年に在日米軍が砲弾射撃場を要求し、内灘がその候補地となった事で発生した反対運動。結果からすると使用を認めてしまったが、その活動は「草の根民主主義の出発点」として全国の基地闘争へ広まるきっかけとなり、日本初の基地反対運動(今の沖縄のような動き)として評価されているという。
今でこそ2万人以上が暮らす大きな町だが、当時は数千人にしかいない、漁業と農業を中心とする小さな村だった。その全住民が立ち上がったんじゃないかってくらい、村役場はもちろん石川県庁にまで殴り込んで陳情したというから行動力半端ねぇじゃんって。「金は一年、土地は万年」という筵旗が資料館に展示されていたが、確かに金はすぐに無くなるけど(うっ...頭が)土地は"不動産"と呼ばれるくらいだから、そりゃ大事だよなぁ。
資料館の近くにある粟ヶ崎遊園の本館入口。当時の施設で唯一現存するもので、移設されて保存されている。この先で"少女歌劇団"による"レヴュー"が行われていた...と思うと、感慨深いものがある。
ちょっと時間があったので、道路を挟んで向かいにある内灘町総合公園にある内灘風力発電所へ。"サンセットウィング内灘"という愛称があってモニュメントみたいになってるけど、よくよく見たら動いていたので現役っぽいが...とても発電しているようには見えない。どうやら20年くらい前までは大きな部類だったらしいが、今では小さすぎて造られていないみたい。
内灘駅からバスで乗った時に渡ってきた内灘大橋。こっちは"サンセットブリッジ"という愛称があって、恋人の聖地にも選ばれているらしい。
この河北潟も国の事業として干拓が行われた歴史があり、干拓事業前は日本で20番目に広い湖だったが今ではその4分の1の大きさに。その代わりに広大な農地がご用意されて石川の農業を支えている。
因みに河北潟は昔、蓮湖(れんこ)とも呼ばれていて、こんなところでも蓮ノ空のこと好き好きクラブの顔面に?なれるとは思わなかった。
すっかり夕焼けが美しい時間になってしまったが、ほのぼの湯前バス停に戻って北鉄金沢バス 鶴ヶ丘住宅線 内灘駅行きに乗車。
10分ちょい乗って終点の内灘駅バス停で下車。さて、そのまま"浅電"に乗り換え...はまだせず、駅西側を少し散策。
やってきたのは平澤嘉太郎の碑。晩年を過ごした、粟ヶ崎遊園内にあった「羽衣荘」の跡地に建てられた。
今ではすっかり住宅街になってしまったこの場所に粟ヶ崎遊園はあったという訳。
ここが本館入口が建っていた場所。この先に北陸の宝塚は広がっていた...
さて、自分の中で"延長戦"としたこの散策も終えて、内灘駅から北鉄浅野川線の普通 北鉄金沢行きに乗車。デジャヴを感じると思ったら、2年前もこの駅からこの列車に乗っていたワ。
またのんびりと15分ちょい揺られて、終点の北鉄金沢駅で下車。
そろそろ帰りの時間になるが、乗車予定の列車の到着時刻までは時間があるので金沢フォーラスへ。
いつものように5階まで上がって、ラブライブ!蓮ノ空ゲーマーズ改め金沢ゲーマーズへ。今月から正式なゲーマーズの常設店舗になったそうなので、金沢ゲーマーズとしては初入店。
スリーズブーケ、相変わらず顔が良い。
昨日の起床事故の一件で母親にお土産を要求されていたので、お土産探しに金沢百番街のあんとへ。
目の前を通り過ぎた時に「そういえば!」と思い出して、中越 金沢百番街店でまるごとみかん大福を購入。2ヶ月前にこの店でお土産を買った時に、付属のリーフレットに掲載されていたのを見た母親が欲しいと言っていたので、今回はこれにした。
お土産も無事に確保出来たのでコインロッカーから荷物を引きずり出して、金沢駅から北陸新幹線の「かがやき516号」東京行きに乗車。もう始発じゃないので、撮り方が新横浜や小田原と同じになってしまった。因みに車両はW7系。また北陸ロマンが聴ける...!
金沢駅のおみやげ処で買った北陸新幹線弁当を晩飯に、金沢の𝐉𝐚𝐩𝐚𝐧𝐞𝐬𝐞 𝐒𝐀𝐊𝐄「加賀鳶」と地𝐁𝐄𝐄𝐑「金沢百万石ビール(コシヒカリエール)」で一日の〆に。
ところで、"崎陽軒の北陸シウマイ入り"とかいう、神奈川県民として腑に落ちない弁当なのだけれど...製造会社の大友楼は金沢の会社らしいが。
因みに北陸新幹線弁当の中身はこんな感じ。普通に美味そうだし、実際美味しかったんだけどさ。こう、北陸なのに崎陽軒っていうのがどうも腑に落ちなくて...
帰りもちゃんと花帆に地元・長野の景色を見せてあげたんだ。
時速260km/hで参勤交代(もどき)をしながら約2時間半乗って、終点の東京駅で下車。
在来線との乗り換え改札で切符の持ち帰りをする際に、いつも通り「在来線に乗り換えます!」と言ったら初めてこんなものを渡された。普通は渡されないであろう切符だったので、切符印字派(収集)としては是非とも!と思ったが..."精算券"という記載はある通り、これは改札に吸い込ませないとダメなやつなので自動改札機に食べさせた。
在来線ホームに移動して、東海道本線の普通 平塚行きに乗車。
グリーン車に乗って、東京駅のニューデイズで買ったレモン焼酎ハイボールで追い酒。といっても、ニューデイズのアプリで配布されていた無料券(期限03月25日)を使ったのでおつまみしか金かかってないけど...
ちょうど月音こなさんがTwitterでスペースをやっていたので、5号車7番席から聴いてた。
耳が幸せになりながら50分ほど乗って、家の最寄りである辻堂駅で下車。バスはまだある時間だったので乗り換えて帰宅しました。
それでは、お疲れ様でした!
by 新宿三丁目