【2021年06月26日】
この日の話を貰ったのは、遡ること1ヶ月前。後輩ちゃんやら知り合いのオタクの伝でなんとなぁく情報を入手し、「興味あり!」という方向で意志を示していました。
それから詳細情報を貰い、大変興味をそそられる、楽しそうな企画だったので参加を決意。
これには、私自信がまだ「団体臨時列車」というものに乗ったことが無く、どんなもんなのだろうという興味もあったからです。
ということで、最寄りから東海道線で東京駅まで乗り、乗り換え先はJR東日本の新幹線ホームです。
7時24分発のあさま603号に乗ります。
実は、今回の団体臨時列車に一緒に乗るオタクに事前にえきねっとで新幹線の切符を購入していただいてました。それが、Suicaをタッチするだけで乗れるというのだから驚きでした。
私はいままで新幹線の切符は全部紙で買っていたもので。初めてのチケットレスでした。
今回の企画には、いつものオタクも参加することになっていたので、新幹線車内で合流するなりマックスコーヒーを配布されました。
只見線欲張りセット
今回は上田駅で下車しました。
そうです、今回初めて高崎駅から長野方面に新幹線を利用しました。上田市自体は何回も来たことがありますが、鉄道を利用して来るのは初めてです。
"上田"駅ということで、偶然持っていた上田麗奈さんの写真集と共に記念撮影しました。
今回の団体臨時列車に乗車するため、受付のあるしなの鉄道の改札へ。すると早速"鉄道むすめ"のパネルがお出迎えです。
他にも、上田電鉄の存続を訴えるために2005年より登場した上田市のキャラクター、北条まどかがいたりと、そういう路線で勝負していこうという感じがしました。
駅から見えたショッピングモール「アリオ上田」です。
一緒にいたオタクに「駅から線路じゃなくてショッピングモールにカメラ向けてるのおかしすぎでしょ」と突っ込まれましたが、駅から見えるのがいけない。仕方ないんです。
さて、いよいよ駅構内へ。かつて国鉄・JRの信越本線時代だった頃に急行や特急列車が走っていたことからホームは結構長かったです。
待っている間に向かいのホームに電車が来ました。これは、昨年(2020年)にデビューしたばかりのSR1系100番台で、しなの鉄道初の新造車です。この時は臨時快速「軽井沢リゾート」として運用されていました。
そしてこれが今回乗車する車両、115系です。国鉄時代に製造されたこの車両、全盛期には東北や北関東、甲信越や中国地方など様々な場所で主力車両として活躍しました。
横須賀色と呼ばれるこの塗装、2編成(S16編成3両+S26編成2両)が2017年の「信州ディスティネーションキャンペーン」に合わせて"リバイバル塗装"として登場しました。
しかし、先述のように新しい車両が投入されたことで置き換えが進み、この横須賀色115系も今年の夏をもって引退することになりました。
今回はその車両を5両(3両+2両)のフルで貸し切り、団体臨時列車「快速 信濃路号」として運転します。
運転区間は、まずは上田駅から黒姫駅まで「快速 信濃路1号」として走行します。黒姫駅で折り返して軽井沢駅まで「快速 信濃路2号」として走行します。軽井沢駅で再び折り返し、上田駅まで「快速 信濃路3号」として走行する、という感じです。
"しなの鉄道"としての路線は妙高高原駅までありますが、黒姫駅までしか運転しないのは、おそらく妙高高原駅がその先の新潟県区間を運営しているえちごトキめき鉄道の管理だからという大人の事情があるからかもしれません。
団体幕。今までは駅で待っていると目の前を通過していくものだったのに、今回はこれに乗車するという、少し不思議な感じがしました。璃奈ちゃんボードではないです。
車内はこんな感じ。クロスシートが多めにあったり、天井の空調設備が真ん中に真っ直ぐ伸びていないなど、現代の車両とは違う部分が結構あります。
ドア横の座席の部分には、アクリルパネルに花のデザインが施されていて、地方私鉄らしい感じがして良かったです。
発車までの間、凄い時代差のある並びもありました。右隣はしなの鉄道の一般車両「SR1系200番台」で、115系は1963年、SR1系は2021年に初運用という製造時期が半世紀近い差もある両者が同じ駅に並んでいるという凄い構図が出来上がっていました。
さて、いよいよ発車です。私を含むグループ(全員知り合いのオタク)は1号車(S16編成)に乗車します。これは、黒姫方面は1番後ろ、軽井沢方面は1番前の車両です。うっすら映り込んでいるけど、はっきり見えてないから大丈夫...多分。
駅としてはしなの鉄道の駅ですが、日本貨物鉄道(JR貨物)も乗り入れています。しかし、2011年3月に日本オイルターミナル上田営業所が営業終了したことによって、貨物列車の発着は無くなっています。
ホーム上には草木が生えており、環境に優しいホームになっていました。
そして、115系の特徴を生かした謎の撮影会も。
最近の車両(特にJR東日本)は、窓は枠に対して一枚張りで上部から下げるように開けるタイプですが、この115系を含むこの時代の車両の窓は上下で分かれていて、下の部分は上に引き上げて開けることができます(これが硬くてなかなか動かない)。冷房も無かったこの頃は、窓からのダイレクトな風がとても気持ち良いものでした。
因みに、私が小学生の頃は地元路線である東海道線にも同じ窓構造をしている113系が走っていました。
ワンカップ大関を積むなw
次の停車駅は屋代駅です。更埴市(現在の千曲市)の代表駅です。
この駅も西上田駅と同じくJR貨物も乗り入れていますが、やはり貨物列車の発着はありません。1993年頃まではシェル石油の油槽所(現在は長電テクニカルサービス屋代工場)へ続く専用線が伸びていたらしいです。
また、2012年3月31日まで長野電鉄屋代線が乗り入れていました。
当時乗り入れていたホーム(4,5番線)や跨線橋は残っており、航空写真からも確認出来ます。
ですが、長電テクニカルサービス屋代車両検査場だけ(写真の施設)は屋代線が廃線になった後もしなの鉄道の車両検査を受託しているので現在でも稼働しています。
名所案内の看板ボロすぎ...
海抜361mで東京タワーの頂点より高い位置にあるしか分からんって...
次の停車駅へ向かう途中、昼食として特別プリントの幕の内弁当が配布されました。
所謂"幕の内弁当"と呼ばれるものを食べたのはいつ以来なのだろう、前回食べた記憶が吹き飛びすぎてもしかしたら今回が初めてかもしれない、というくらい久しぶりに食べました。
やっぱり電車内、しかもクロスシートで食べる弁当は特別な気分になりますね。
小学生の頃、当時デビューしたてホヤホヤのE231系のグリーン車で峠の釜めしを食べてワクワクしていた時のような感覚だったと思います。
電車は長野駅に停車しました。が、運転停車のため、ドアは開きません。残念!
今回の走行ルートからするとしなの鉄道は一見ひとつの路線のように見えますが、JR東日本から並行在来線として経営移管された時期の違いによって分かれており、軽井沢駅から篠ノ井駅までが「しなの鉄道線」(1997年10月1日移管)、長野駅から妙高高原駅までは「北しなの線」(2015年3月14日移管)となっています。なお、篠ノ井駅から長野駅はJR東日本の信越本線のままとなっています。
その長野駅を出ると、線路が広大な敷地に引かれている場所が見えてきました。
JR東日本の長野総合車両センターです。車両の左下に「長ナノ」と書かれている車両はここの所属です。
E233系0番台(中央線快速)
キハ110系200番台(飯山線観光列車「おいこっと」)
211系(中央本線など)
首都圏を走る電車も検査や修理などのためにこの車両センターに連れてこられます。
因みに、2021年3月13日から東海道線で特急「踊り子」「湘南」として運行しているE257系2000番台は、ここで魔改造を受けてます。
次の停車駅は北長野駅です。長野駅のひとつ隣で、やっぱりここもJR貨物が乗り入れています。ここは先程の2駅とは違い、貨物列車発着用のヤードが駅の南西にあり、隅田川駅や名古屋貨物ターミナル駅へ向かう定期列車があります。
そして、知り合いのオタクのひとりがドールを召喚していたので始まった撮影会。
この窓構造だからこそ出来る、窓辺に座らせる位置取り。そして、いい感じに座らせられるサイズ感、すごく収まりが良い感じになっていました。
次の停車駅は黒姫駅です。最初の折り返し地点です。上水内郡信濃町の中心駅(多分)で、野尻湖や黒姫高原などへの観光拠点にもなっています。
駅名標の別バージョン。背景の写真はおそらく黒姫高原に咲く花だと思われます(調べても何も出てこなかったので詳細不明)。
駅舎はこんな感じ。降雪が多い地域のためか、屋根が通常の駅舎よりも傾斜がついていた感じがしました。
近くにナウマンゾウの化石が出土したことで有名な野尻湖があるためか、改札口にはナウマンゾウの模型が設置されていました。
黒姫駅には、約1時間停車しました。そんなに停車していて通常の運行に問題は無いのかと思うかもしれませんが、定期列車の発着が無い2番線に停車しているので、問題はありません。
しなの鉄道が国鉄信越本線だった頃、「チッキ」と呼ばれる鉄道による手荷物輸送が行われており、全国の多くの旅客駅で荷物扱いがされていました。しかし、宅配便の開始やトラック輸送への転換により取り扱い量が減少し、民営化前の1986年にサービス廃止となってしまいました。
電車は折り返して再び発車し、北長野駅と西上田駅に停車したあと、最初の乗車駅である上田駅を通過して軽井沢方面へと進んでいきました。
そして次に停車したのは田中駅です。東部町(現在の東御市)の中心駅です。以前はJR貨物も乗り入れていましたが、2002年4月1日で廃止となっています。
すごーく苗字っぽい駅名だよなぁと思いつつも、特定の誰かを意識していたとかそういうことはありません。
「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の私の推しキャラの一人である天王寺璃奈の中の人が田中ちえ美さんだからって、それを意識したということはないですよ?
写真でバレてますよって、本当はめちゃくちゃ意識してました。まあそりゃ推しキャラの中の人ですし......私自身、田中ちえ美さんが好きなので...
駅舎はこんな感じ。近くに北国街道の田中宿があることなどから、宿場町のような外観をしています。
因みに、台湾の台湾鉄路管理局にも田中駅があります。こちらの発音は「ティェンジョン」だそうです。
同一駅名という縁なのか、2018年3月26日には姉妹駅協定が締結され、同時に管理会社であるしなの鉄道と台湾鉄路管理局も友好協定を結んでいます。
なお、奇跡的にどちらも2面3線という駅構造です。
また、115系の床下機器の独特の音を聴くために、録音しつつ駅で床になるという傍から見たらただの変質者のような事もしていました。
続いての停車駅は小諸駅です。小諸市の中心駅です。アフリカの沖合にある某島国ではありません。
JR東日本の小海線も乗り入れており、東信地域では上田駅に次ぐ規模(多分)です。小海線にはなm...蓄電池気動車が走っているんだって。
駅舎はこんな感じ。しなの鉄道の管理なので駅名の横もしなの鉄道のロゴだけが入っています。
次の停車駅は軽井沢駅です。しなの鉄道としての路線はここまでですので、再び折り返し地点となります。
JR東日本になってから暫くの信越本線時代はこの先の碓氷峠を越えて高崎方面まで線路が続いていましたが、1997年10月1日の長野新幹線開業に伴い横川駅から軽井沢駅までは廃止され、分断されてしまいました。
しなの鉄道ホームより少し高い位置に新幹線ホームにあるJR東日本デザインの駅名標が見えました。見下されているような感じですね。
駅舎はこんな感じ。実はこの建物は元々は駅舎ではなく、軽井沢町が管理する「軽井沢駅舎記念館」でした。
これ以前にも駅舎はありましたが、新幹線開業に伴う全面改装工事で取り壊され、新駅舎完成後に明治期の姿を復元させた、現在の駅舎になっている記念館が建てられました。
その後、2017年に改装工事を行い「旧駅舎口」として改札口等が設置されました。
復元レプリカかよくわかりませんが、旧字体の駅名看板がありました。
旧1番線には、電気機関車のEF63形2号機が静態保存されていました。この先に続いていた最大勾配66.7‰の碓氷峠を越えるための補助機関車に特化した車両です。
しなの鉄道塗装115系とマルチプルタイタンパーのツーショット。
横須賀色115系と初代長野色115系とマルチプルタイタンパーのスリーショット。
って、おい待てw
今までずっと鉄道車両同士のツーショやスリーショットだったじゃん?いきなり自分の推しの写真集持ち出すなよ。
いや、そもそも何で持ってきてるの...?
あああぁ持ち主まで出てきちゃったよ...サボ(行先が書かれた表示板)と一緒に撮るなら分かるけど、女性声優の写真集と一緒に撮るって...どういう事だよ...
「表紙だけでいいんですか?」って?主催、変な煽りしないで...
いやぁ開いちゃったよぉ!
おい、せんしちぶなページをぱっと開けるなって...
後で聞いた話ですが、撮影サイドからは「なかなかえっちだねぇ」という感想が出ていたそうです。
再び折り返して発車し、小諸駅と田中駅に停車した後、上田駅へと向かっていきました。
約8時間の走行を終え、上田駅へと戻ってきました。
団体臨時列車、前から乗りたいと思っていたのですが予定が合わずなかなか乗れませんでした。ですが今回、遂に乗ることが出来ました。しかも、見慣れた横須賀色の115系。「しなの鉄道所属の横須賀色115系」はおそらくこれが最初で最後のはずなので、良い思い出になりました。
企画して頂いた方、話を持ってきてくれた方、ありがとうございました!
この後は、家には帰らず(というか帰るのが面倒だった)、松本にある知り合いのオタクの家に宿泊しました。
それでは、お疲れ様でした!
by 新宿三丁目
公式サイト▼